工場被害 和解-その後 1

和解-その後

  私は、「公害等調整委員会の実態」と題した手記で被害の発生から、提訴に至るまでの経緯を綴りましたが、テーマである「公害等調整委員会」でのことが中心でしたので、こちらでは、差支えない範囲内で、裁判での「和解」と、その後の「被害解消」のことを書かせて頂きます。それぞれ、被害者の方々の置かれた状況は異なりますが、このような事例もあったことを知って頂ければ幸いです。

(裁判に至るまでの流れ)

 平成21年3月30日、被害発生(予告なしの工場開設) → 市役所に通報 → 個人での交渉(不成立)→ 平成21年11月18日、公害等調整委員会に申請 → 平成23年11月29日、公害等調整委員会、棄却 → 平成23年12月28日、さいたま地裁に提訴

  平成23年11月29日付けで「公害等調整委員会」(公調委)の責任裁定を棄却されてからは、「裁判」が当方に残された唯一の解決手段となりました。
 「低周波音被害は認めない」として、理不尽な棄却のされ方をした公調委の「裁定」を、このまま受け入れる訳にはいきません。難しいと言われる「低周波音裁判」ですが、今出来ることは全てやり尽そうと、残された最後のチャンスに賭ける決意をしました。

   平成23年12月28日、(公調委棄却の1か月後)さいたま地裁に提訴しました。公調委までの弁護士は解任し、新たに、他の「低周波音裁判」(T市エコキュート裁判等)も手掛けるI弁護士を代理人に立て、裁判に臨みました。I弁護士は、「公調委の本質」を鋭く見抜くなど、公調委を経験した当方にとっては、共感出来る点の多い方でした。また、他の弁護士があまり受任したがらないこの裁判にも、敢えて取り組む姿勢のある方でした。

  平成24年3月8日、さいたま地裁川越支部に於いて、第1回口頭弁論が行われました。
原告代理人は、「低周波音被害」について、様々な資料や文献を示しながらの「主張」を展開していきました。一方、被告代理人は、公調委の時と同じ人でしたが、公調委では盛んに「主張」していた「被害者クレーマー論」は、裁判では一切主張することはありませんでした。
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   すでに4回の口頭弁論期日を終えた、平成24年11月22日の期日に於いて、裁判官より「和解」の打診がありました。提訴から11か月目のことでした。
(以下、代理人からの弁論経過の報告書より抜粋)
 「裁判官より、集塵機を工場内で可能な限りの最長距離に移動する和解はあるかについて、当事者に意向を聞いてもらいたいとの話がありました」

  年が明けた、平成25年1月17日の期日に於いて、被告側が「和解」に積極的な意向を示したとの報告を代理人から受けました。当方も、少しでも早く被害が解消出来るのであればと「和解」に応じる準備はありましたが、確実に低周波音に効果のある対策が講じられないのであれば、安易な「和解」は呑むことは出来ないと考えていました。
  そして、裁判官の「加害音源を工場内で最長距離に移動」との提案内容は、低周波音対策には不十分と考えており、納得の行く「和解内容」とするためには、相手方への更に踏み込んだ交渉が必要でした。
  工場は、当家(西側)敷地境界から僅か1メートルしか離れておらず、工場内で音源を移動させたところで、浸透力の強い低周波音を遮断することは不可能です。

  原告と被告との間で「和解」の意志確認が出来たところで、その後の期日は、「和解内容」についての話し合いの場となり、また、双方代理人による現地視察も行われ、検証、協議の結果、和解内容(工場が行う低周波音対策)が以下のように取り決められました。
 「加害音源の集塵機、コンプレッサーは、原告宅(西側)と反対側の工場の前の空き地に「建屋」を造り、移設する」

  この「移設工事」の実施で、当家と加害音源との間には「距離」が取られ、その中間にある、高く大きな工場の建物が、「低周波音の防音壁」の役割を果たすことになります。この和解案で、ほぼ「被害解消」となる期待が持てました。

 工場への要望内容は、当方と代理人とで打ち合わせをして決めましたが、相手方が、その「内容」を受け入れるか否かは、ひとえに代理人の「交渉力」に掛かっていたと言えます。もとより、個人での交渉で、簡単に受け入れてもらえるような要望ではなく、このような実のある「和解内容」の交渉を成立させたのは、法律家であり、交渉のプロでもある「弁護士」に他なりません。
個人での交渉が困難な、こじれた事件では、「弁護士の介入」が必要であることを改めて実感しました。解決困難な「低周波音事件」こそ、弁護士の果たす役割が大きいにもかかわらず、受任を敬遠する弁護士が多いことを、非常に残念に思います。






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